つぶやき第3号

今日始めて東京シティ・フィルとのオケ合わせがあった。

午後4時から7時半まで、間に短い休憩を2回挟んでびっちり3時間半。池辺、ヒンデミット、シュタールの3作品を合わせていただいた。

秋になって長い時間、ずっとひとりで勉強していたから、生きた音が立ちのぼり、爆発し、或は共に優しく歌い上げていくオーケストラとの時間を共有できたことは、何よりも嬉しく有難い経験であった。

それにしても、一昨年完成したばかりのシュタール作品は難しい。指揮の高関健さんは今ストラヴィンスキーの「春の祭典」をやっているらしいが、「春祭よか難しいんじゃないか」と言われる。

とにかくピアノとオーケストラが絡み合って捩れあって格闘して音楽を作り上げていく作業は想像を絶する。

演奏不可能といえる場所もたくさんある。

ああ!神様・・・作曲者のシュタールは今から50年近くも以前にシベリウス・アカデミーで私の生徒だった。

当時彼は14歳の少年。現在ウィーンフィルのヴァイオリン奏者である彼は、いま日本と韓国をウィーンフィルと一緒に廻っている。

でも11月8日には東京でのオケ合わせに来てくれるそうだ。そして勿論11月10日の東京オペラシティの演奏会にも。

とにかく明日のオケ合わせ、そして明後日の南相馬での演奏会が無事にいきますように!

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つぶやき第2号

23日に仙台でリサイタルをした。

11月10日に4つのピアノ協奏曲の演奏を控えているけれど、それだけに縛られるのではなく、間に違う曲目でやることは、気持の切り替えとか、感性を楽に自由に保ためにも必要なことだと思う。

これからも 11月5日には八ヶ岳音楽堂で草笛光子さんと「音楽と物語」のコンサートをする。

ひとつのことに思いつめるのではなく、さまざまなことの出来るのが有難い。

それでも、27日から東京シティ・フィルとの練習が始まり、30日には南相馬で11月10日と同じ曲目を演奏する。結構厳しいスケジュールだ。

でも、福島、宮城、山形でこの演奏会を楽しみに待っていてくださる人々がいる。

今日はやっと4つの協奏曲全部を一日で勉強することが出来た。

なんとなくお寺でお坊さんが揃って朝の雑巾掛けをやってる姿を思い出す。

精進精進!

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「舘野泉の今日のひとこと」~80歳まで続く 10月18日(火)

「舘野泉の今日のひとこと」

10月18日(火)

今日は午前11時に家を出て紀尾井町の歯医者に。

いつもは歯の診療が終わると、そこから神田須田町の古い 蕎麦の店「まつや」に行くのを楽しみにしているのだけど、 今日は11月10日の勉強をしないと大変だから、 まっすぐ家に帰るつもりにしていた。

絶対、蕎麦屋には 行かないぞと思っていたのだ。

ところが、歯の治療は 今回で完了。

朝飯も抜きだったからさすがにお腹が すいて、まつやに突進となる。

昼時の店内は大賑わいの 銭湯の雰囲気。

いつもの通り「山かけ」を食べるが、 それでも足りなくて「鴨南蛮」を追加。

6食入りの乾麺と「そばみそ」をお土産に買って帰る。

忙しい時はそれを茹でて食する。

昼寝をして、それから終日 シュタールの作品を勉強。

難しい曲だけど、蕎麦を 食う誘惑に負けたから出来ないんだとは言えないから 気合いが入る。

勉強の後はご褒美に泡盛ロックを 独酌。めでたしめでたし。

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クリスマス

今日はクリスマスイヴ。正午に古都トウルクの大聖堂の鐘が打ち鳴らさ

れ「クリスマスの静寂」が全国に宣言される。これは1320年から続

けられている習慣で、フィンランドは中世の600年の長きにわたって

、スウェーデン王国の一部であった。ナポレオン戦争で敗れ、それから

帝政ロシアに組み入れられるが、1917年のロシア革命を機に念願

の独立を果たす。こんな史実を高校初年の頃に知り、フィンランドへの

興味をかき立てられた。「クリスマスの静寂」の言葉通り街には人影

もなくなる。ホテルやレストランも商店も皆クローズされ、26日まで

の3日間は皆自分の家で(家族親族だけで)クリスマスを祝うのだ。

ピアノも弾けないから、この3日間は楽譜を眺めているしかない。北欧

のクリスマスは綺麗でしょうね。パーティーなどもあって楽しいのでしょ

うねとよく聞かれるが、事実はこの通り。大いに違う。

これももう60年前「北緯60度の恋」というフランスの小説を読んだ。

ゴンクール賞という文学賞を受けたもので、パリ育ちの青年がノールウェ

イ娘と恋に落ち、クリスマス時期のオスロでまったく不思議な経験をする

物語だが、いまの日本人もこの「北緯60度の恋」をフィンランドでして

しまうのではないかと思う。

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午後の4時だけど真っ暗

昨日の夕方ヘルシンキに帰ってきた。9月5日以来だから3箇月と一週

間ぶり。3日前まで北フィンランドでは零下40度だったそうだけど、

今日のヘルシンキは+3度。全然しまらない。それにしてもこの秋は日

本でよく働いた!我ながら偉い奴だと褒めてやりたい。特に11月3日

から10日にかけては南相馬、山形、大阪、長久手(愛知)、東京の5

箇所でノルドグレン、吉松隆、池辺晋一郎のピアノ協奏曲を弾いたから

大変!5回の演奏会でノルドグレンは2回、池辺さんは4回、吉松さんは

5回弾いたことになる。最後の東京(11月10日)は僕の77歳の誕生

日で、ステージにはなんとサプライズで大きなケーキが運びこまれ、オー

ケストラがHappy Birthdayを弾いてくれたのだが、この編曲は楽員が皆で

カンパをしたお金でパブロ・エスカンデが書いてくれたそうだ。このコン

サートには皇后陛下美智子様も来てくださり感激ひとしおだった。

この秋はあんまり忙しかったからブログも書けなかったんだけど、これ

からクリスマスにかけてはもう少しまめに書きます。

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久しぶりだな〜

7月11日からドイツとフランスの演奏旅行に出ていて、昨夜遅くヘル

シンキに帰って来た。13日ぶりのヘルシンキは曇り空で気温も18度

とぱっとしない。陽光が降り注ぎ、28度から32度ぐらいだった南か

ら帰ってくると、勿論旅疲れもあるけれどなんだか気が沈むなあ。ドイ

ツでは3回、フランスでは1回のコンサートがあったけど、特に印象に

残ったのはデユッセルドルフの日本人クラブオーケストラとの協演で、

会場はロベルト・シューマン・ザール。700の客席が満席の盛況だった

が、何と言ってもオケの皆が力を合わせての素晴らしい演奏は本当に感激

ものだった。団員には元東フィルだとか東京交響楽団で40年ぐらい前の

若かりし僕としばしば協演したベテランも何人かいて、久しぶりだな〜と

懐かしかったし、ドイツ各地のオケで弾いている人たち、それに現地の音

楽院の学生、それからドイツ人にフィンランド人のプロの奏者も加わって、

素晴らしい音を響かせていた。最も素晴らしかったのは12歳ぐらいの日

本人奏者が3人もいて、大人に混じって少しの引けも見せず、見事な集中

力を発揮して難しいプログラムを弾ききったことだ。特にヨーロッパ初演

となった一柳慧のピアノ協奏曲第5番での演奏は、団員の皆がそうであっ

たが、難しい現代曲を堂堂と弾ききり、僕もピアノを弾きながら胸が熱く

なった。一柳慧のピアノ協奏曲は今年の9月29日に佐賀のアルモニア管

弦楽団とも弾く。このオケもノンプロの楽団だが元N響、東響、東フィル、

日フィル、東京都響、九州交響楽団などの合成軍に、大分や長崎、熊本な

どからも多数の奏者が加わり、一昨年は吉松隆のピアノ協奏曲<ケフェウ

ス・ノート>を演奏したが、なかなかの演奏だった。一柳さんのピアノ協

奏曲第5番は昨年8月下野竜也指揮の東京都響で世界初演、同10月の藤

岡幸夫指揮関西フィル定期での関西初演に続いて、今年はノンプロ・オケ

でも2回演奏されることになる。現代曲というと引っ込み思案に成りがち

だが、そんな必要はない。やってみれば難しい難解だ、でも皆と一緒に力

を合わせているうちに良さが見えてきて、それを掘り起こす喜びも出てく

るし、美しい、力がある、それも分かってくるから、苦労した後での楽し

みもまた大きなものになるんだ。あ、そうそう、デユッセルドルフではラ

ヴェルの<左手の協奏曲>も弾いたのだけど、これは自分でも久々の快演

だった。素晴らしい演奏が出来て嬉しくて嬉しくて踊りだしたいくらいだ

った。指揮の石川星太郎君もよかったな〜。ピアノは河合のフルコン。調

律の方が精魂こめて調整してくださった。私は河合やヤマハでは弾きませ

んなんていう人もいるけれど、そんなことには囚われないで、楽器は可愛

がっていれば鳴ってくるものだ。弾く人の愛情はちゃんと伝わるものだか

ら・・でも、昔北京で弾いたピアノ、あれは駄目だったな〜 「星海」て

名前だけは素晴らしかったけど、瓦礫の海みたいだった。

 

 

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夜のヘルシンキに

別荘にいたかったんだけど、夜7時半に向こうを出発して3時間のドラ

イヴ、といっても運転はマリアだけど、ヘルシンキに帰ってきた。明後

日はもうデッセルドルフに出発だから、その準備で忙しくなる。別荘を

出発間際に敷地のあちこちに熟していた野苺を口にほうばる。こちらで

は野苺ではなくて森苺っていうんだけど、女の子の小指の爪ぐらいの大

きさで、ほのかに甘いんだよ。可愛かったな〜。いや、苺がだけどさ。

今年は森苺の豊作みたいだ。昔は名前のあるレストランだったら、この季

節にはデザートで食べられたんだけど、この頃はないみたい。今はみんな

夏休みの季節でヘルシンキの夜は静かだ。もう11時半近いけど、まだ明

るい・・・

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七夕

今日は七夕。どういう訳か七夕というと願い事を書いて竹(笹)の葉に

吊るした子供の日を想いだしてしまう。それから仙台の素晴らしい七夕

の賑わい。大好きな叔父や叔母がいて嬉しかった。母は子沢山の家族の長

女で、一番末の叔母は僕とひとつ違い。始めて見た母はもう結婚していた

から,姉妹というより、どこかの素敵な女の人みたいだったという。

そんな思いにふけっている間にサウナが温まった。白樺の薪で焼べるのだ

がだいたい1時間半かかる。じゃ、サウナに行ってくるよ。

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湖と森と花と鳥達の歌!

6月30日に日本での最後の演奏会を終えて、7月2日にフィンランド

に帰ってきました。3箇月半ぶりだな〜。日本での最後の頃は、演奏会

はよくやったし調子もよかったけど、流石に疲労が溜まって来てるのは

感じたよ。6月25日にN響とノルドグレンの「小泉八雲の怪談による

<死体にまたがった男>」を弾いて、26日奈良27日神戸29日ヤマ

ハサロン30日横浜でリサイタルと続いたからね。毎晩ご褒美の焼酎で

慰めていたけれど、それでも物足りなくなって、これはウオッカをくい

とひっかけなきゃやっていけませんというところまでいってヘルシンキ

に帰ってきたって云う訳です。3日から別荘に来ている。ヘルシンキか

ら北に230キロ、周りにはなにもない(たとえば一番近い酒屋までは

30キロ!)だけど湖と森と花と鳥達の歌があるんだ!マリアと夏の乾杯

をして、でも昨日から一柳慧のピアノ協奏曲第5番とラヴェルの左手の勉

強を始めた。11日にはデユッセルドルフでオーケストラとの練習が始ま

る。また旅だね。男は辛いよ・・・

 

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N響と初練習

130623_1455~01今日はN響とノルドグレンの協奏曲の初合わせ。21日のブログに今回

初めて日本のオケとノルドグレンの協奏曲を共演すると書いたけど、ど

うもおかしい、何か大事なことを忘れていたような気がすると思ってい

たのだけど、高輪の練習所に行って、はっと思い出した。ここで去年の

2月に尾高忠明さんの指揮でブリテンの左手の協奏曲を弾かせてもらっ

たんだ。そして、その尾高さんの指揮でもう6〜7年前になるだろうか、

札幌交響楽団の東京公演がサントリーホールであったのだけど、その時

にノルドグレンの「左手のためのピアノ協奏曲」を弾かせてもらったの

だった。本当に僕の記憶力もだいぶ悪くなってきて、あんなに大事な演

奏会のことまで、すぐには思い出せなかったんだ。ごめんなさい。つい

でに言えばノルドグレンの初期の傑作であるピアノ協奏曲第1番も尾高

さんと札響の定期で演奏させてもらっている。これはフィンランド放送

交響楽団の委嘱作品で,1975年4月にフィンランドの国立放送響の定

期で初演された。ノルドグレンには息子のカイ君が生まれ、僕にもヤンネ

がその一ヶ月ぐらい前に生まれていて、我々二人とも若々しく、精神は高

揚していた時期だから,ノルドグレンの協奏曲も豪壮な力に溢れ、フィン

ランド放送のインタビューで僕は「モンゴルの大襲来みたいだ」と描写し

ている。この曲は渡辺暁雄さんと都響とのコンビでも演奏したが、札幌の

演奏の時の聴衆の興奮はいまだに忘れられない。ステージに6回も呼び出

され、それでも拍手がおさまらなかったくらいだ。この時の演奏会の録音

が東芝から発売された僕の26枚組のCDに収められているから是非聴いて

ください。でも、昔のことは昔。明日はまたN響と練習だ。

おやすみなさい。

 

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